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「ONGAESHI プロジェクト」とは?

 

国内はもとより世界各国から平和への祈りを込めて広島、長崎、沖縄などに贈られた千羽鶴をリサイクルし、再生紙や再生繊維をはじめとするいろいろな再生プロダクツとして蘇らそうというプロジェクトです。

その活動の一環として、折り紙や画用紙をはじめとする再生紙製品を、原子力事故や戦争、災害の被災地などで平和実現のために活動している学校や団体に寄贈し、イベント等での活用を通して、平和を願う人々の気持ちのシンボルとして有意義に使って頂くことを推進しています。

 

戦後から既に80年近くが経過し、日本は平和になり、私たちは楽しい毎日を送れるようになりました。しかし平和への願いを込めた千羽鶴は、広島だけでも世界中から毎年1千万羽、重さにして10トンも贈られてきます。折り鶴を送って頂いた恩に感謝しつつ、それを新たな製品として再生させること、そして今まさに平和な毎日を夢見ているこどもたちのもとへ、新しい命とともに飛び立たせてあげるのが、日本ならではの恩返しになるのではないか、そう考えて、この特別な紙を「恩返紙」と名付け、恩返紙製品を活用した平和教育活動を「ONGAESHIプロジェクト」と名付けました。

「ONGAESHIプロジェクト」を、今後ともどうぞよろしく申し上げます。

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千羽鶴に祈りを込めた少女​のものがたりを知っていますか?

太平洋戦争の終戦の年である1945年8月6日、広島に原爆が投下されました。当時、2歳であった佐々木偵子さんは、爆心地から1.6kmにあった自宅で被爆をしました。

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その時は奇跡的にほぼ無傷でしたが、10年後の12歳のときに突然白血病を発病し、闘病中に「鶴を千羽折れば願いが叶う」という言い伝えを信じて、毎日、毎日、鶴を折り続けたにもかかわらず、12年という短い生涯を終えてしまいました。

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その後の偵子さんの同級生たちの活動により1958年、広島平和記念公園の中に平和のシンボルとして彼女をモデルとした「原爆の子の像」が建造されました。今では彼女の物語は世界中に広まり、平和への願いとともに多くの「千羽鶴」や「手紙」がこの広島の「原爆の子の像」に贈られてくるようになったのです。

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